保存科学研究室の歩み (保存科学研究室年報 東京藝術大学創立120周年記念号 より)
明治初期、西洋近代科学を総合的に導入するため、多くの学校が創立された。東京 美術学校もそのひとつで、伝統分野以外の材料および道具類の多くが西洋からもたら された。新材料・技法の習得から始まり、独自の材料・技法の開発に努力が注がれた。
鉄鋼業が近代化の柱となり、美術学校の鋳金・彫金分野も、その基礎である冶金学 (金属学)の影響を強く受けた。「合成金製造法」(明治 30 年、橋本奇策著)では、海外 の鋳物、彫金、宝飾、彫刻、楽器などの新合金と着色法などが多数紹介されている。
美術学校でも当時の先端科学が必要とされ、創立間もない頃に工芸化学教室が創ら れた。上図は当時の焼印である。また、応用化学の講義もあり、上原先生が担当され た。内容は金属、漆が为である。当初の教員は不明だが、明治後半は大築千里教授 ならびに鎌田弥寿治教授、大正時代には小柴講師等が教育にあたられた。工芸化学は 金工講座に所属し、金属材料の講義と実験が为であった。彫金教室・清水亀蔵教授の 著書「金工製作法」(昭和 12 年)が関連技術書として遺されている。美術学校の資料 では、金属、染色、陶磁器など幅広い教育が行われている。下図は美術学校時代の 掛図の一つで、昭和 9 年のものである。
昭和の初め頃に、工芸化学教室は金属材料研究室と名称が変わった。鋳金および 彫金教室が密接に関係していたためである。戦後、昭和 32 年に美術・工芸材料 全般を担当するため、工芸材料研究室になった。当時は東北大学金属材料研究所 から移られた蒔田宗次講師が金属材料の講義と実験を担当され、石川信夫実験助手、 市橋敏雄助手が在籍していた。
昭和 24 年に北大から小口八郎博士が音楽学校(琴と 三味線の研究)に呼ばれ、一般教育の物理と地学も担当 され、後に美術学部の材料研究室に移った。その後、 教授になられた新山榮先生が就任された。昭和 41 年 に材料研究室は大学院講座・保存科学研究室になり、 当時として最新鋭の電子顕微鏡を導入し、研究に取り 組んだ。また、昭和 43 年に杉下龍一郎講師が着任し、 小口教授、杉下講師、新山助手の陣容になった。
平成 7 年に独立専攻の文化財保存学専攻が保存技術 研究室と保存科学研究室を基礎に設立された。保存科 学研究室は拡大改組されて 2 講座になり、文化財測定 学担当の杉下教授ならびに美術工芸材料研究室担当の 新山教授のご指導を受けた。その後、両教授が退官さ れ現在に至っている。(北田記)
保存科学研究室の歴史 (保存科学研究室50周年記念誌 より)
1. はじめに
北田正弘(以下敬称略)が 2006 年の年報でまとめているが、今回、美術学部の同窓会である「杜の会」の名簿、東京美術学校設立初期から戦争の激化した時代まで毎年 (1990 ~ 1939 年) 発行されていた「東京美術学校一覧」、及び「東京芸術大学百年史」から関連すると思われる先生方を抜き出して表を作成した。 自然科学関連の先生を保存科学研究室のルーツとすれば、東京美術学校創立の2年後 1989 年となる。「東京美術学校一覧」によると、実際に授業を開始したのは明治 22 年、1889 年であった 1)。
2. 応用化学
冶金学専門で評論家、翻訳家でもあった磯野徳三郎が、岡倉天心に呼ばれて東京美術学校授業開始の 1989 年に教授として赴任した。当時普通科 ( 予備校的な学科 ) の他に、専修科に設置されていたのは繪畫科 ( 日本画 )、彫刻科、美術工藝科 ( 金工、漆工 ) であり、 普通科の学科課程に理科及び数学、美術工藝科一年の学科課程に冶金法と応用化学が課せられていたことから、これらを担当したと考えられる 1)。翌年 1990 年 より 3 年間、上原六四郎が教授となり理科及び数学、冶金法、応用化学、幾何学の授業を担当した。上原は音楽理論家、尺八奏者であり、旧奏楽堂の音響設計も手掛け、そしてなんと軽気球を作った人でもある。その後、漆の研究者で、後のウルシオールの単離分析やラッカーゼの存在を世界に先駆け指摘した、吉田彦六郎が 1993 年 -1995 年に嘱託として応用化学を担当している。その後は再び磯野が教授として担当するが、岡倉天心と共に辞職(東京美術学校騒動)。そして、1年空いて 1989 年 -1904 年は上原が嘱託として応用化学を担当している。
3. 工芸化学教室
1905 年からは写真が専門の先生方が中心に工芸化学を担当し始める。1909 年には工芸化学教室の一棟が整備され、担当教員の数も増えていく。大築千里(1905-1909 教授、-1911 嘱託 )、芝一雄 (1906-1909 助手、-1911 助教授 )、西洋画の鹿毛屋蔵 (1909-1913 助手 )、金属と写真の鎌田弥寿治 (1910-1919 教授、 -1925 写真術教授、-1928 助教授 )、彫金の神谷教親(1912-1918 助手、その後彫金助教授)、印刷の小柴 英侍(1914-1918 嘱託、- 1921 講師)、写真の 長口宮吉 ( 鈴木 ) (1914-1918 助手、-1925 助教 授、-1927 講師 ) および森芳太郎(1915-1918 嘱託、-1921 講師、-1925 助教授、-1927 在外研究、-1932 教授)。1926 年に写真科は東京高等工芸学校 ( 現在の千葉大学工学部 ) に移管して廃止されるが、 工芸化学は継続する。漆の福岡縫太郎(1928-1931 助手)、鋳造の内藤春治(1928-1931 助手、-1941 彫金兼務の助教授)、漆の安倍郁二(1931 助手)、 萩原利三郎(1932 助手)、東北大学金属研究所から 赴任して金属材料学を担当した蒔田宗次(1933-1959 講師)、深瀬嘉臣 (1933-1942 彫金兼務助教授 )、漆の澤口悟一 (1933-1941 講師)、平野茂 (1936-1940 講師)、磯矢陽 (1936-1941 兼務助教授)、石川信夫 (1951-1953 助手)。(北田によれば昭和初め頃金属材料研究室と名称変更)
写真に関する教育 3)
日本における最初の写真教育は陸軍士官学校で 1876 年である。 東京高等工業学校( 現在の東工大 )図案科に 1900 年に製版部が設けられ、結城林蔵が主任として写真製版および写真教育を担当した。1914 年東京美術学校 の製版科に移管され、課長に結城林蔵が、鎌田弥寿治が教授に、助教授に伊東亮次が就任した。その翌年「臨時写真科」が設置された。鎌田が光化学、加藤精一が写真光学、江崎清が陰画法、前川謙三が修整法、宮内幸太郎が陽画法、森芳太郎が物理化学を担当。1926 年写真科となる。1926 年に写真科は東京高等工芸学校 ( 現在の千葉大学工学部 ) に移管される。1910 年 に東京美術学校教授大築千里が京都帝国大学の製造化 学の中に写真講座を開設した。大築の後任には京都帝国大学の鎌田弥寿治が移動した。
4. 工芸材料研究室
小口八郎は 1948 年に北大の低温研究所から音楽学部に赴任し、1954 年に物理化学実験室の隅に材料・技術研究室が置かれて美術学部との兼坦助教授となった 2)。1957 年には工芸材料研究室ができ、市橋俊雄 (1957-1969 助手)、新山栄(1857 副手、-1959 技術補佐員、-1982 助手 )、垂沢秀雄 (1857-1959 技術補佐員 ) が加わっている。市橋は「工芸材料・技術概論」に当時の研究のことも書いている。1959 年の「東京芸術大学概要」には、材料研究室の説明として「現在は絵具 ( 顔料 ) ならびに工芸用金属および漆材の化学的および物理学的研究と実験を実施している。特にこれらの科学的研究を応用して、美術品の修復技術の研究も併せて実施している。」とある 2)。
5. 保存科学研究室
1964 年、大学院設置と共に保存技術講座が設立され、小口八郎は所属しながら研究を行っていた。その 2 年後の 1966 年に教授になると同時に保存科学研究室(修士課程のみ)が設置された。この時点では、助手が新山栄、非常勤助手が畔柳孝子で、1968 年に杉下龍一郎が講師として名古屋工業大学より赴任し、4 人体制となった。1967 年に澤田正昭が 1 期生として入学した。1974 年には中央棟が落成し、2 階に移転。 1984 年に小口が停年退官し、代わりに稲葉政満が助手として岐阜大学より赴任した。この年に杉下が教授となり、1983 年に講師となっていた新山(-1986、 -1988 助教授、-1987 教授)そして非常勤助手の宮田順一 (1983-1991)、という体制である。1985 年に 村上隆が博士課程に進学し、1989 年に同氏が保存科学研究室での最初の学術博士(博美 10 号)を取得した。
6. 文化財保存学研究科構想
1990 年頃に保存修復技術研究室と保存科学研究室を拡大改組して、美術研究科から独立した文化財保存学研究科にするための取り組みがスタートした。これは当時藝大学長であった平山郁夫の「文化財赤十字」構想の一翼を担う組織の強化を狙ったものである。 1991 年度から 1993 年度には澄川喜一(美術研究科学部長)を研究代表者とする科学研究費補助金 ( 国際学術研究 )「フリーア美術館所有の日本・東洋美術品の保存状況と修復方法の共同研究」が実施された。この研究ではフリーア側からの来日とともに、藝大からの渡米調査が実施された。毎年 7-8 名の調査団でフリーア美術館、ナショナルギャラリー、メトロポリタン美術館、グッゲンハイム美術館、ボストン美術館、ゲティー美術館、保存修復分析研究所(CAL)、ゲティー保存修復研究所(GCI)、ロード・アイランド・スクール・オブ・デザイン付属美術館、ハーバード大学付属フォッグ美術館そして、米国の保存修復の大学院であるデラウエア大学保存修復大学院、ニューヨーク大学保存修復センターおよびニューヨーク州立大学(バッッファロー校)を訪問した。この調査団には事務官も1名入っており、その後の拡充の方向性への共通理解が得られた。
設置の必要性としては(1)文化財保護意識の革新と体系化、(2)文化財保存専門家(コンサバター、行政機関等における保存管理指導者、文化財保存修復技術の教育研究者)の育成、(3)国際交流・国際貢献、があげられていた。 表1に当時独立研究科として構想された専攻名と講座名の一例を示す。
7. 保存科学研究領域(文化財測定学講座、美術工芸材料学講座)
1995 年に保存修復技術研究室と保存科学研究室を拡大改組して文化財保存学専攻となり、保存修復領域は日本画、油画、彫刻、工芸、建造物の 5 講座に、 保存科学領域は文化財測定学と美術工芸材料学の 2 講座になり、これに加えて東京文化財研究所のシステム保存学領域の保存環境学と修復材料学の 2 講座となった。杉下 (教授) が文化財測定学、新山(教授) と稲葉(助教授)が美術工芸材料学に所属し、真貝哲夫が助手、土屋順子が非常勤助手という体制となった。またこの年から杉下が大学内の発掘調査団長となり、実務担当者として山内利秋が非常勤助手として採用され、研究室にも協力してもらうこととなった。なお、博士(文化財)としての研究室の最初の取得者は 2000 年の秋山純子(博美 84 号)である。
1997 年に新山が退官し、北田正弘が教授として日立製作所より赴任した。1999 年に杉下が退官した時点で稲葉が文化財測定学へ移り、桐野文良が助教授として日立マクセルより赴任した。2008 年に文化財保存学専攻の助手 3 名が 1 名に減らされたことに伴い、保存科学領域では常勤助手のポストがなくなり、非常勤助手 2 名の体制となった。2009 年北田が退官し、永田和宏が教授として東工大より赴任した。2013 年 に永田が退官し、塚田全彦が准教授としてメトロポリタン美術館より赴任した。
修了生は 2016 年 3 月末で修士 127 名、博士 32 名 である。常勤者として関連分野で働いているものの数を集計したものが図 1 である。1984 年は初代教授の 小口が退官した年であり、1995 年は文化財保存学専 攻へと拡大改組した年、1999 年は杉下が退官した年である。文化財研究所は奈良国立文化財研究所 3 名、東京国立文化財研究所 2 名などと多かったが、国内 では現在 1 名となった。一方、博物館、美術館で働くものの人数は着実に増加している。また、埋蔵文化財関係は減少しているが、国会図書館 2 名などこちらは増加している。また現在は非常勤であるが、国立公文書館などで働いているモノも増えている。大学の教員も着実に増加している。ただし、常勤職になるまでの期間は様々であり、修了後すぐに就職出来ているものもあるが、昔は 5 年程度、最近では 10 年程度非常勤の立場でがんばらないと常勤職になれない感がある。
8. 文化財関連の主な就職先 (2016年時点 常勤職、元も含む)
- 8.1 国内
- 国立
- 県立
- 市町村立
- 私立
- 大学等
- 修復等
- その他
- 8.2 国外
- 韓国
- 中華人民共和国
- 中華民国
- アメリカ合衆国
- マルタ共和国
奈良国立文化財研究所, 東京国立文化財研究所, 正倉院, 東京国立博物館, 京都国立博物館, 九州国立博物館, 国立西洋美術館, 歴史民俗博物館, 国会図書館, 外交史料館
東北歴史博物館, 福島県立博物館, 山梨県立博物館, 江戸東京博物館, 愛知県美術館, 愛知県陶磁美術館, 新潟県埋蔵文化財調査事業団, 千葉県文化財センター, 滋賀県文化財保護協会, 宮崎県埋蔵文化財センター
高岡市美術館, 奥田元宋・小由女美術館, 熊本市立熊本博物館, 田川市石炭・歴史博物館
戸栗美術館, 日本陶磁協会
東北大学, 東北芸術工科大学, 帝京大学, 筑波大学, 東京学芸大学, 東京藝術大学, 国士舘大学, 京都市立芸術大学, 京都美術大学, 同志社大学, 鳴門教育大学, 高知大学, 別府大学, 東洋美術学校
半田九清堂, 文化財保存, 装潢史連盟, 表阿弥, 伝世舎, 修復研究所 21, 絵画保存研究所
文化財虫害研究所, 三康図書館, ヤマトロジスティクス
国立文化財研究所, 国立中央博物館国立現代美術館, 韓国伝統文化大学校, 国家記録院
中国文物研究所, 中国国家図書館, 復旦大学
国立台南芸術大学, 国立台湾師範大学
ボストン美術館, メトロポリタン美術館
マルタ国立修復センター
参考文献
- 東京美術学校一覧 . 明治 23-27 年 , 4-11 コマ
- 東京芸術大学百年史 美術学部編 , p.491-493
- 高田俊二:日本写真学会のあけぼの - 大阪有 志の会「寫眞科學會」の会報、日本写真学会誌、79(4)、 328 - 336(2017)